移民=外国人材の増加は反対だ、と思っている人は多い。
それは誰だってそうだ。
自国民だけで、暮らせるなら、それが一番いいに決まっている。
でも、このままだと100年後の日本の人口は4000万人になってしまう。
さらに、その100年後は、1000万人台だ。
江戸時代の3000万人を大きく下回る。
孫正義さんが言うように、ロボットや自動化によって労働力を補うことができるかもしれないが、ロボットは子どもを産まないので、人口が増えることはない。
経済は到底、今の水準を維持することはできないが、それはひとまず置いておこう。
本当に飢えれば、人間はちゃんと考え始めるからだ。
けど、遅かれ、早かれ、子どもを産まなければ日本という国の文化はなくなってしまう。
それは間違いない。
そして一度、失った文化を取り戻すことは極めて難しい。
最近、ふと思い出したのが、2年ほど前、大阪の中学校の校長が「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと」と発言して、大いにバッシングされたニュースだ。
(以下引用)
今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。
なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。
「女性が、こどもを二人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。
もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。
次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。
人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。
子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。
やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。以上です。
その時、僕は素晴らしい言葉だと思った。
校長は「発言は撤回しないとの意思」を示したが、迷惑をかけたので退職したという。
もちろん誤解を招く表現を含んでいるのは事実だ。
「若いうちに子育てをする」と「若いうちに仕事に打ち込む」の、2つの選択肢があった上で子育てを選択するのと、最初から子育てを強要されるのでは話が違う。
まったくその通りだ。働きたくない男子もいれば、仕事で活躍したい女子もいる。
けれど、国がなければ、仕事をすることはできないのだ。
人がいなければ、国は成り立たない。
経済力も落ち、それに伴い防衛力も落ちていく。侵略されても文句を言う人間は残っていない。
校長は歴史や文化を十分に学び、日本の将来を憂いていたのだろう。
その時の世論は校長の言葉に否定的だった。
耳ざわりの良い正論だけで、その場をやり過ごし、ニュースの片隅に消えていってしまった。
もし、本格的な議論が可能だったとすれば、その時が絶好のチャンスだったが、少子化が止まるような議論には発展しなかった。
今、人手不足のニュースとともに、外国人材の受け入れ拡大法案が議論を呼んでいる。
もし、2年前に校長の言葉に否定的な態度を示した識者が、外国人労働者の受け入れに反対しているとすれば、それは大きく矛盾した考えだと言わなければならないだろう。
もう戻ることはできない。
少なくとも、今後数十年にわたって、確実に、外国人は増え続けていくのだ。
いずれ国内の主要都市はニューヨークのようになっていく。
そして日本の文化はすべて遺産となる。
「世界遺産」とは、未来の人間が楽しむ博物館の展示物のようなものだ。
でも、僕は2年前とは、少々考えが変わってきた。
そもそも、日本文化なんてとっくに遺産になっていると気づいたからだ。
戦後生まれの僕らは、日本文化というものを実際にはほとんど知らず、僕らの中身は日本人ではなくなっている。
自分で日本らしい、と思っているほとんどの事柄が本来の日本文化からかけ離れているのだ。
伊勢神宮を見て「いいね」と思う感性が、外国人観光客と変わらない。
それを見通していたのが、作家の三島由紀夫だ。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである(三島由紀夫)
その言葉を残して三島が切腹してから、もうすぐ50年が経とうとしている。
当時でさえ三島の行動はパフォーマンスとして嘲笑された。
50年前、すでに『日本』がなくなってもいい、と考えていた人たちが大半を占めていたのだ。
それが僕たちの親だった。
21世紀の今、三島の言っていた『日本』は残っているのだろうか?
そもそも日本文化とは何だろうか?
1000年前から熟成されてきた個々の伝統文化のことだろうか?
それ以前は、日本ではない別の国だったのだろうか?
2000年前、大陸や半島、南方の島々、北方のあらゆる方面から海を渡って日本へ着いた民族が顔を見合わせた時代は、今よりもはるかにグローバルだった。
今のニューヨークよりも混沌として、史実に残っていないさまざまな物語がつむがれていただろう。
そこは日本とは呼べない別の世界なのだろうか?
この国は、長い年月をかけて、そんな時代に戻っていくのだ。
形骸化した日本文化には誰も価値を見いだしてはいない。
子どもたちは本能的にそう感じている。
けど、近い将来、まわりの大半を外国人が占めた時、きっと僕たちは日本人の本質が何なのかを知ることになるのだと思う。
そしてそれを大切に抱きしめながら、新しい『日本』をつくっていくはずだ。
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