「君の名は。」がヒットした理由
「君の名は。」を初めて鑑賞した。
なぜこの映画はこんなにヒットしたのだろう?
公開のタイミングや、震災の記憶、美しい描画、RADWIMPSの音楽や、魅力的なキャラクター、細部のリアリティ、もう一度観たくなる複雑な物語の構造など、すでに言われているとおりヒットの理由はさまざまだろうし、そのどれもが欠けてはならなかったものだ。SNSによる口コミ数を分析する方もいるが、間違えてはならないのは、口コミが発生したから売れたのではなく、作品自体が観客に「誰かに伝えずにいられないほどの感動」を与えたということだ。
当の新海監督が「なぜヒットしたのか分からない」と話しているように、そもそもこの映画は学生の記憶がまだ鮮明な若者向けに作られていて、広い世代に受け入れられる作品とは考えていなかったのだろう。
だからこそ、ヒットしたという一面もあるのかもしれない。
限られた世界とはいえ、具体的なリアリティがあったからこそ普遍的な人間の感情を描くことができたからだ。
最初から広い世代に受け入られる作品を目指していたならば、多くのカットは別の表現に差し替えられていただろう。
そうなれば、物語の細部から生彩は失われて、作為的なストーリーだけが足早に進んでいく別の作品になったはずだ。
この映画の中で、母親のいない主人公たちが一貫して感じているのはある種の喪失感だ。それは相手の名を忘れたことに由来しているのではなく、むしろ、もともと抱えている空虚によって互いを引き寄せ合っているように見える。
この映画のモチーフとなっている歌が詠まれた1000年前から変わらず、ほとんどの人間が、成就しなかった恋や、大切な人と死に別れた悲しみなど、何かしらの喪失感を抱えて生きている。そしてそれを満たすために、夢や奇跡を渇望してきた。時には神話や文学、宗教として。時にはCERNのような最新の物理科学研究を通して。
三葉と瀧はお互いを想う「青春」のただ中にいながら、夢が覚めると、相手の名前を思い出すことができない喪失感の中に生きている。
「名前」を思い出そうとしているが、本当に思い出したかったのは「名前」よりも、「誰かを本気で好きだった」という感情なのだろう。三葉に出会った瀧が、記憶をとどめるために三葉の手にマジックで書き残したのも「名前」ではなく「すきだ」という言葉だった。誰もが経験する、ある種の夢から覚めた時の感覚を思い起こさせるシーンだ。
「君の名は。」が観客の心に残すもの
若者を中心に増加した観客動員数を、途中からさらに押し上げ、大ヒットに至らせたのは、「誰かを好きだった」という感情を忘れた姿に共感を覚える世代も観客となったためだろう。誰でも、一度は誰かを本気で好きになったことがあるはずだ。だけど、年を取るにつえ、それがどんな感情だったのかを、実感をもって思い出すことができなくなる。死別してしまった人間の面影は少しずつあいまいになり、輪郭が欠けていく。
その姿を鮮明に思い出すことはできない。
けれど、人間は完全には忘れることもできないのだ。
だから歌があり、物語が生み出され続ける。
「死」と「時間」という超えられない壁を、僕たちは普段、意図的に忘れて生活している。
そうしなければ、信じるものが何一つない世界を正気で生きることなどできないからだ。
コミュニティが分断され、家族が分断され、男女が分断された結果、ぽつんと空いた個人の空虚は、ゲームアプリや稚拙なハリウッド映画で満たせるほど小さくはなかったということなのだろう。
この映画はさらりとしていて、観客に強いメッセージを押し付けない。それが心地良い時代だからだ。
ただ、美しい眺めを見た者の心のなかに、失った大切なものを思い出すきっかけを与えてくれる。
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