人間の仕事がAIによってなくなる時、本当に好きなことを追い求めることが幸せにつながるのか?

2018.05.05  働き方

最近、よくみかけるのが、いずれAIによって仕事はほとんどなくなるので、好きなことをするしかない、という論調だ。
AIは疲れを知らず、永遠と作業をし続け、それを改善し続けていくことができる。
よって士業をはじめ、多くの頭脳労働は終焉を迎える。
その見立ては間違ってはいないのだろう。すでに士業が食えなくなっているのは現実に起きていることだ。電子化の進んでいるエストニアでは税理士という職は消滅しているという。

だがそもそも、現在士業として活躍している人にとっては勉強そのものが「好きなこと」であったはずだ。
知識を積み上げていくのが楽しくて、RPGで遊ぶかわりに、自らのレベルを上げていくことに夢中になっていた人が多かったはずだ。
それはこれまで秀才と呼んでもらうことができた凡人にとって、現実をゲームのように生きることができる、かけがえのないシステムだった。

そのシステムが崩壊する。

新しい世界でどのような産業が繁栄するかはわからないし、今から準備できることもわからない。プログラム教育も盛んになっているが、杉花粉を大量にばらまく羽目になったように、大きく裏目に出てしまう可能性もある。

世界が変わると言っても、人によって受け止め方はさまざまだ。
これまでの世界にうまく対応できて順調に稼ぐことができていたタイプの人は没落貴族のように落ち目になり、戦後民主主義の義務教育になじめなかった多動型の人間にとってはこれまでよりも生きやすい世界に変わるかもしれない。
眉毛の濃い女性がきれいに見えたり、眉毛の濃いことがコンプレックスになったり流行が変わっていくように、稼げる人間のタイプの流行が変わるという程度の話でしかない。

戦後民主主義の義務教育を一律に受けてきた僕たちにとっての好きなことなんて、ほんとうに小さくて個人的なものばかりだ。
それに、これまでの世界にうまく対応できていない僕のような人間にとってはチャンスなのかもしれない。

しかしそもそも、かつてのSONYやTOYOTA、ホンダ、松下の創業者たちは、好きなことを追い求めていたのだろうか?
夢中になって好きなことを追い求めていたのは事実かもしれない。
でも彼らにとって「好きなこと」は、知識を積み上げていく勉強でも、楽して人から金を巻き上げることでもなかったはずだ。

「好きなこと」なんて人によってさまざまで、たいていの人にとっての「好きなこと」は、たまたまうまくいった仕事のことを指しているだけだ。同じ仕事でも、うまく利益を出せれば「好きな仕事」だし、利益を出せなければ「つらい仕事」に変わってしまう。
景気が拡大していた親世代にとっては仕事は楽しかったし、今の若者にとっては残業するくらいなら死んだほうがマシ、程度のものなのだ。

前述した偉大な創業者たちにとっての「好きなこと」はもっと別のことを含んでいる。

それは楽しいことをやるのではなく、「やらなければならないことをやる」という使命感だ。
使命を全うすることに夢中になっている。
天のため、人のため、国のため、子孫のため。言い方はいろいろあるが、平たくいえばこれからも続いていくコミュニティのためだ。
SONYの創業者・井深大は「幼児開発協会」まで作って、21世紀に偉大な人間を残そうと考えていた。

新しい未来の世界で、上場や事業売却がゴールとして魅力のないものに変わっているならば、それは幸運なことかもしれない。
いまはきれいごとにしか思えないけど、本当のモチベーションとは、個人としての好きなことよりも、社会の中で、やらなければならない役割を見つけることと、それを遂行する使命感のはずだから。


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